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お寺ルネッサンス

録画していたETV特集「お寺ルネッサンス」を見る。

「葬式仏教」からの脱却を目指す様々な寺の試みを『がんばれ仏教』の著者が紹介していた。そこで紹介されていたのは、

・ご住職(元映画のプロデューサー)がお寺の本堂を劇場に改装して若者を集めているお寺。

・ご住職が自身の老親介護をめぐる経験から「家」を象徴する墓ではなく、「個人」で入るお墓をつくっているお寺。

・超宗派で仏教を考える若いお坊さんの集団、「ボーズ・ビーアンビシャス」

・本堂でデイ・サービスを行いつつ人の死について考えているお寺

などであった。

かつて、お寺は地域において、学校・病院・養老院・孤児院・劇場など様々な機能を果たしていた。なので、その公益的な機能が、意欲的な僧侶によって一部なりとも取り戻されていくのはいいことだと思う。

しかし、これらのご住職たちが自分のお寺に集まってきた人たちに対してどのような教えを説いているのか、それをもう少し踏み込んで報道してほしかった(不偏のNHKだから無理か)。

だって、デイサービスや劇場や無宗派のお墓は寺院でなくても、他の組織でもできることである。

一方、オノレの心の中にある醜い欲望や怒りが自分に不幸せをもたらしていること、自らの強すぎる欲望や怒りを消すことによって幸せになれること、それらを説明できるのは仏の教えにしかできない。

彼らが仏の教えによって人々を導き、それによって人々が癒されてはじめて、仏教が再生(ルネサンス)したといえるのではないだろうか。

さらに、身も蓋もないことをいえば、仏の教えを説くことができ、それを体現した人ならば、劇場をやらなくとも、デイサービスをやらなくとも、もっと本質的な意味で人を癒し導くことができ、結果として、仏の教えもひろめられるということである。

このぶろぐの一日の訪問者はユニークアクセスで、だいたい200人から250人である。

一方、わたくしの主宰するホームページ「オカメインコの森」は、何の変哲もない親バカページであるが一日のアクセスは450人から500人である。

なぜわたしのぶろぐには人が来ないのか。

それは、このブログの内容が可愛げも何もないからである。一方、ホームページの主役であるわたしの愛鳥は性格は無欲で明るく、見た目も非常に愛らしく、写真だけでもまわりを喜ばせ、ひきつけ、癒す力をもっているのだ(すごいだろ)。

彼のおかげで知り合えた同世代(いや、みな私より若いですがね)のお友達もすばらしい方ばかり。彼の周りには幸せの輪が広がっているのだ。

このことが暗示していることは、「仏教再生の可能性」「寺にどうやったら人が集まるか」に関する百万代言よりも、一人の魅力ある僧侶の方がはるかに仏教の復活に資するということであろう。

外に向けての取り組みはむろん大事であるが、それに加えて仏教徒らしく、内なる問題を解決することによって、外なる問題もクリアしていくという克己的な姿勢も必要だと思う。

自分も含めて仏教徒のすべてが自戒すべきことである。


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コメント 3

セン@小坊主

その青松寺さんからは、早大仏青宛にメールをいただいたことがあります。「仏教ルネッサンス塾」などのイベントのご案内でした。
私は学生時代、東工大の上田紀行先生ゼミと大阪府立大の森岡正博先生ゼミの共同主催の「現代的人間研究会」をいちど聴講したことがあり、その時ゲストに呼ばれて話をされたのが、もう長いことタイで正式な出家修行をされている日本人のプラユキ・ナラテボー先生でした。そのナラテボー先生も登場する「老病死の寺」という本を、その時の主催者の方から頂戴したりと、有意義な会でした。
去年ダライラマ法王が東京で講演会を行った際、会場にナラテボー先生も見えてました。ナラテボー先生は上座部の僧ですが、超宗派・超宗教的な視点をお持ちの方ですので、大乗の法王の講話などにも進んで足を運ばれているのでしょう。幸い面識を得ていたので、ご挨拶できました。
一部、他宗教・他宗派に対して攻撃的な上座部僧もいるようですが、全ての上座部僧がそのような攻撃的性格や教義の持ち主であるというわけでないことは明らかです。
近年仏教が劣勢気味のスリランカや、現政府に問題のあるミャンマーよりも、今はタイ国の方がのびのびとした仏教的環境に恵まれ、上座部のすぐれた修行者、偉大な僧侶(ブッダダーサなど)が育ちやすいのではないか、そんな印象さえ受けます(私はその方面の専門家ではないので、あくまでも印象としてですが)。
実際、偉大な人物ほど、伝統と革新の両面を備えているのであり、狭い了見に囚われないものの見方ができるのだと思いました。
by セン@小坊主 (2006-01-23 07:47) 

ishihama

センくんの言うことはごもっとも。
いかなるジャンルの人であれ、一流の人はまず自分と戦っていますよね。

自分のみを是として、うまくいかないこと、気に入らないことがあると、すべて天候や親や教師や社会のせいにしているような他責的な人物は、あまり大成しませんよね。

まして、一流の聖者たるものなら、自分の宗派とか、自分の宗教とかを絶対視するようなことはないだろうと思います。
わたしはブッダダーサ師がと゜のような方かは存じ上げませんが、きっと立派な方なのでしょう。日本語英語で読めるものあります?
by ishihama (2006-01-23 13:36) 

セン@小坊主

ブッダダーサについては、彼の代表的著作の英訳がウェブで公開されています。
http://www.buddhanet.net/budasa.htm
これの日本語版もあるにはあるのですが、私が見る限り、一般書店に流通しているものではなさそうです。
●『仏教人生読本』三橋ヴィプラティッサ比丘訳、プッタタート財団発行
この日本語版訳者のあとがきによれば、ブッダダーサ(タイ語読みでは「プッタタート」)は孤高の僧であり、彼の支持者によって建立された寺院で、生涯をパーリ仏教そのものの研究と修行に捧げると同時に、キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教など他宗教の人々との交流も、何のわだかまりもなく楽しまれていたとのことです。

日本では、神戸大学の伊藤友美先生
http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Asia/seminer/itou.html
がブッダダーサをご専門とされており、以前私から伊藤先生にご連絡さしあげたことがあります。メールでのご返事をいただき、先生の論文の掲載されている日本語の文献2点を教えていただきました(以下)。
●「現代タイにおける『ダンマ』の理解と実践:プッタタート比丘の思想」東南アジア史学会編『東南アジア:歴史と文化』第26号(1997年)、113-136頁。
●「プッタタート―苦滅の教え」綾部恒雄・林行夫(編)『タイを知るための60
章』明石書店、2003年、317-320頁。
by セン@小坊主 (2006-01-24 21:49) 

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